2013年12月13日金曜日

Some Stress in Varanasi

バラナシ(ベナレス)で僕が感じているストレスを書き連ねること自体が更なるストレスだ。

インド人の道を歩くペースがどうもそれぞれイレギュラーというか、中国人なんかにもいく分言えるのだけど、かの国は道が広いし皆が急ぎ目に歩くのでそこまで気にならないが、ここバラナシの、特に今いるベンガリートラの場合は混み合った狭い道を歩かざるを得ない。


日本人の場合、例えば駅の構内で歩く際もそれぞれが一定のペースを保っているので流れに沿って歩きやすいのだけど、こちらではまちまちだし、ヒンドゥー教の聖地バラナシなだけに家族連れが多いので自らのスペースを確保しづらい。
それに牛や水牛、犬なんかも道を行き交うから、4、5分のちょっとした外出ですら面倒となる。

道幅の広いデリーのパハールガンジでは客引きやタカリを横の動きで交わすことができたが、ここではそういったかわし方はできない。
そしてその狭い路地上に牛の糞やら小便やらゴミやら寝てる犬やらなんやらかんやら、かわさなければならないものが点在しているので気を張らなければならない。うっかり踏んでしまった時は想像を絶するストレスだろう。

それに旅行者の生活圏はガンジス川の土手沿いなので、アップダウンが多いのも疲れる理由。

あっ、それから時たま猿が上からものを落としてきたりする。

またインド人はそもそもよく話すのだが、ここのインド人はことさらよく話す。
しかし、物売りなどと話してみても、結局は自分の話したいことしか話さない場合が多いので会話が噛み合いづらいことが多く結局疲れることになる。

加えて声が大きいこともストレスだ。バラナシの人は、デリーにいる人より声が大きい。
ちなみに中国人も同じくらいに声が大きい。
そういやネパールのポカラで会ったバングラ人も声が大きかったなあ。
人口密度が高いと声が大きくなることは普遍の法則と思う。

あと、路上で人に声をかけてくる時、「おい」だとか「ジャパン」とか普通に考えれば相当礼を失した呼びつけ方をしてくる。
ヒンドゥー語は中国語のように敬語が発達してないのだろうか。
それとも外国人はアウト・オブ・カーストと聞いたから、いつも見下されている連中が逆に見下す対象として声をかけてきているのだろうか。
ちょっと理解に苦しむ。

バラナシには限定的に大麻を合法で売っているオフィシャルショップがあるというので偵察に行ったら、近くから変なインド人にいきなり「おい」と呼びつけられ、「What you want?」とぶしつけに、むしろ命令するかのごとく尋ねられ怒り心頭に達した僕は、怒りのあまりヤンキーのようにポケットに手を突っ込んで「おお、スズキさんかあ」と言いながら薄ら笑いでじりじりその男ににじり寄り、顔を上から近づけ見下した体勢で上から下まで舐めるように見て、鼻で笑って「何もいらない」と告げたところ、「向こう行け」だって。
もちろん向こうに行ったのだけど、今度は後ろから別の男がついてきて「マリファナか」と聞いてくるから、無言でiPhoneを取り出しカメラにし、振り向きざま写真を撮ったらどこかに消えていた。

そもそもここに限ったことではないのだけど、大麻などいらないのに「葉っぱ」と声をかけられること自体が非常なストレスなので、そこにプラスアルファの要素があると、もう黙っていられないほどの怒りが込み上げてくる。

閑話休題。ともかくここの人は大きな声でよく話す。それはよいのだが、ともかくよく怒鳴り声を耳にする。
怒鳴り合いもよく見るけど、上位の者が下位の者、例えば従業員なんかに命令する時、凄まじく怒鳴りつけるように言いつける。
客の前でもおかまいなしだ。そして、そのままこちらに対しては、ころっとニコニコ善良なインド人という風に話しかけてきたりするのでなんとも言えない気分にさせられる。まあ、そうまで言わないと相手も聞かないのだろうが。

以前僕は『地球の歩き方』の三番煎じのようなガイドブックを作ってる会社に勤めていたことがあるのだけど、そこの社長はまさにこんな感じだった。あまりニコニコはしてなかったけど。
もともとバックパッカーで、インドとゆかりの深い人だったと記憶している。
あの一方的に怒鳴りつけて有無を言わせず命令する感じは、インドで身につけたものだったんじゃないかな。
少なくともここにいると、そういう気になってくる。

ともかく、歩いている時でも人と話している時でも、デフォルトで相手との距離感が図りづらい。
あー、今日も疲れた。

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